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あなたにとってのバイクとは?


帰ってきた石丸の死神

「あなたにとってバイクの存在は?」

それは…フフフ…
フハハハハハハハハハ!!!(満面の笑み

…といった具合に、最早言葉すら崩壊しかねない存在が、単車という、ノリモノでありイキモノでもある存在だ。

解体屋から引っ張ってきた部品取り車のキャブを開けた時に漂う、あの鼻の曲がるような甘酸っぱい腐ったガソリンの臭い。
他人様の車輛からの排気であってもついスンスン嗅いでしまう、焼けた2ストオイルの芳香。

とにかく、目的地もなくただ跨り、スロットルを開け、無心に走るのが楽しくて仕方なかった。
峠で、埠頭で、夜の国道で、バトルに入り浸った時代もあった。
バトルの後、路側にマシンを停めて、初対面のバトル相手と一緒に笑いながら飲む缶コーヒーが最高に美味かった。

友達が沢山できた。親友もできた。
彼女もできた。チームの後輩に彼女を寝取られた事もあった。
師匠もできた。後輩もできた。後になって弟子っぽいのもできた。

やがて、私はバイク屋の広告やwebコンテンツを作るようになった。
それが大学を出た後の大きな仕事のひとつになった。
この「I'm Rider」さんに日がな通いつつ偏屈なレビューを幾つか残したのも、その頃だった。

しかし時代は流れ、私も単車仲間達も、いつしか単車に余り乗らなくなってしまった。
若干ヤンチャな単車乗りにとっては、21世紀の公道は、ちょっと窮屈に思えてならなかったのだ。

通っていたホームの峠は全て波状路とキャッツで埋め尽くされた。
埠頭のゼロヨンコースは近隣エリアの大規模開発によって消滅した。
お世話になりまくった、大好きな老舗バイク屋は多くが店じまいしていった。
ゼロハン文化が事実上壊滅し、日本の単車ワールドは広大な裾野を失った。

そして、私は最近、愛すべき旧車コレクションの殆どを手放した。
どうしても手放せないDT50とミニトレだけを残して。

「もう昔のように無心に走る事なんてできないだろう」
「今更走って何をするんだ」

これでオサラバする、つもりだった。

しかし、できなかった。


「今更走って何をするんだ」

この、私自身による諦めじみた自問への答は、そもそも大昔の私にとっては至極当たり前のものだったからだ。

「走るのに理由なんて要らんだろ???」

単車で走るのに、能書きなんて要らない。
走ってれば、きっとまた面白い事が起きるだろう。嫌な事もまたあるだろうが。
それ以前に、走る事が既に面白い。

大学を出て社会人になって理屈っぽさが増して、周囲からもそれなりに理論武装が求められるようになって、万事理詰めで物事を考えるようになると、単車という趣味はどうしても立場が弱くなってしまう。

だが、理屈抜きで楽しいのが単車であり、だからこそ無心になれたのではないか。

かつて某走り屋雑誌で恥ずかしいヘルメットを被りみっともないフォームのコーナリング写真を晒していた私だが、今やアラフィフになろうというおっさん、いや、ジジイ一歩手前の身である。
流石にイイ歳こいて公道でヤンチャをしようとは思わないが、法を守りつつ白い大型バイクに怯え、またスロットルを開けていこうと思う。

私はまもなく教習所通いを始める。
かつて「中型ですらフルパワー出したら200km/h出るんだから要らんだろ」とスルーしてはいたが内心憧れていた夢・大型免許を取りに行くのだ。
しかし、いきなり大型に乗るというのも唐突に過ぎるので、復帰当初はリハビリがてら、気になっていた現行型CB125にでも乗ってみたい。
エンジンは全開できてこそ本懐だと思うから。


最後に。

「あなたにとってバイクの存在は?」


単車は人生。私の魂そのもの。

死んでもあの世で鬼とカタナをぶっちぎれるように、再びライテクを磨いておきたい。



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