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自動車学校の一職員から見る自動二輪

腰痛犬

かさねがさねの投稿失礼致します。
約半年にわたり投稿させていただきましたが、最近は仕事も忙しく、なかなかPCに向かう時間も取りづらくなってきたので、これまでのまとめというか、僕が今一番言いたい事について書かせていただき、とりあえずのひと区切りとさせていただきたいと思います。

三無い運動については、これまで書かせていただいたとうり、その本質というより、その「やりかた」が、ちょっと違うんじゃない?というままですが、そこで、学校ではなく我々ライダーの責任と義務について考えてみたいと思います。
というのも、これらバイクを取り巻く環境についての議論は昔から変わらずあるけれども、ライダー自身の責任に対しての議論はそれほどされてきてない気がするからです。

事故が起きた際など、バイクは高い確率で被害者になるからでしょうか、社会の非を指摘する事はあっても、それほどライダー自身の非についてライダー自身が戒める事は少なく、そのためか、今ひとつ説得力に欠ける気がします。

確かに、学校のやり方は理解に苦しむし、責任を学校に押し付ける親もどうかと思う。けれど、、社会に対してマイナスなイメージばかりを植え付けてしまったライダーの責任はないのだろうか?むしろ多大にあると思う。

三無い運動をふくめたバイクを取り巻く理不尽な環境は、長い時間をかけてライダーがつくりあげたものなのだ。
たとえば、最近話題になっている駐輪場の問題について考えて貰いたい。

多くのライダーはこれについて多少なりとも憤りを感じていると思うし、僕もその一人だけど、なぜ駐輪場が無いのだろうか?

それは、本当にバイクに対する不当な扱いなのだろうか?もし、街中に大型バイクの駐輪上があったとしたらと考えれば解ると思うが、間違いなく騒音の苦情が殺到するだろうし、正直、僕の家のそばにはそんなものはできないで欲しいし、大半の人はそんなものを経営したいとは思わない。

最近はノーマルのマフラーを見かける事のほうが少なく、申し合わせたように社外品に替えている。そして口をあわせて「合法」だということを主張するし、なかには「合法」であることとマナーを守るという事を同一に考える人も多い。
しかし、故意に排気音を上げるという時点で決して印象のいいものではないし、合法とマナーは別のものだ。そしてまた、民間駐車場に二輪スペースが無いのも合法なのだ。

バイクのマナーはタバコのマナーに限りなく似ている。乗っていて楽しいのは本人だけだし、タバコの煙のように排気音を「良い」と感じるのも本人だけ。周囲に関する配慮を忘れてしまいがちだ。
マフラーをかえるなというのではなく、そのバイクでどこをどんな風に走るのかを、もうちょっと考えてみてもいいだろう。と思う。

日常的に使う人であれば、病院の前を走る事もあるだろうし、ツーリングであれば避暑地を訪れる事もあるだろう。
たとえ「合法」であっても、「マナー」を口にするのであればそれが使用できる場所は限られてくると思う。
もし、我々ライダーが街に駐輪場を求めるのであれば、できる限りの消音の努力をしなければならない。
同じように、十代の若者(若者に限った事では無いが)がバイクに乗ろうとする場合、責任のある行動や、成熟した人間性が求められる。

例えば、僕たちがテレビをみて、そこに映る人たちを「馬鹿」だと思おうが、「かっこいい」と思おうが自由であるように、バイクを「うるさい」とか「ガキのおもちゃ」と思うのも自由だし、そう思われるのが嫌なら自分達で証明してみせるしかない。
確かに、三無い運動は理不尽だし、あるべき姿ではないと思う。けれど、もしも三無い運動が無くなった時、免許取得可能年齢がそのままであるだろうか?

それは、我々ライダーや、その年頃の若者達の自覚によって決まるものだと思う。
このコーナーに投稿してきた高校生たちは、遅かれ早かれバイクに乗るようになると思うけど、他人に不快な思いをさせればツバをかけられるという事を忘れずに成長して貰いたいと思います。
そして、バイクに限らず、何かをしようとしたら次の世代に対する責任があるということも。
我々ライダーに欠けているものは、実は「ライダーじゃない視点から考えること」じゃないかと思います。

長々と失礼しました。とりあえず、僕の投稿はこれでひと区切りとさせてもらいますが、時間を見つけてまたいずれ長々と書かせてもらうかもしれません。
これからバイクに乗ろうとしている人、すでに乗っている人にとって、バイクが「人生を豊かにする」道具である事を願っています。
それではまた。

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