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自動車学校の一職員から見る自動二輪

腰痛大王
子供がバイクに乗るか乗らないかなんてことは家庭の問題であって学校側が規制するべきものでは無いと思います。規制するとなれば、せいぜい通学での使用禁止ぐらいにとどめておくべきではないでしょうか。

はなっから免許もとらせなかったり、たとえ校則違反でも、身分証明書でもある免許証を学校側がとりあげたり、退学にするほどの問題なんでしょうか?

タバコやドラッグ、売春と違って、バイクは法に触れるものでもなければ非行に直結したものでもありません。免許も取らせず根絶やしにしてしまおうというのはあまりにもヒステリックで、教育や指導といった名目には当てはまらないんじゃないかと思います。

確かに、ルールを守るということは大切です。しかし、なぜ高校生がバイクに乗ってはいけないのか、退学になるほどの事なのに生徒に対しての十分な説明はなされていません。多くの高校生はわだかまりをもち、消化不良のまま卒業する事になります。

未成年者から投げかけられた疑問が放置されたままというのは、大人として情けなくはありませんか?教育の場で投げかけられた疑問には、きちんと向き合うべきです。
おそらく、問題点のひとつは高校生がバイクに乗ると言う事ではなく、それを公の機関である学校側が規制するべきなのか、という所にあると思います。僕は、学校側がそこまで面倒を見る義務は無いと思っています。

高校というところは、義務教育ではありません。それぞれが自由意志で来るところです。その名の通り高等教育を受ける場であり、しつけの場では無いのです。

バイクに乗るか乗らないかの問題は、家庭内で処理したうえで学校に行かせるのが当然だと思います。はっきりいって、健全にバイクに乗ろうとする人には迷惑意外のなにものでもありません。

家庭での事故の責任は学校側には無い事を、学校側は明言すべきです。バイクに限らず、事故がおきれば何でもかんでも学校や施設の管理責任にしてしまうのはおかしいでしょう。

しかし、今現在、校則で禁止されているのであれば、たとえ理不尽であったとしてもそれは守るしかないと思います。もしくは、校則を変えるかですね。自由意志で来ている以上は、そこのルールを尊重すべきです。その上で、バイクに乗るという権利を主張するのはおおいに結構だと思います。

個人の権利を主張する場合、当然他人の権利を尊重しなければなりません。ルールや他人の権利を無視した場合、それはただのわがままにしかなりません。

学校、生徒、保護者、まるで日本と中国の関係のように対話と歩み寄りが無さすぎるように思います。保護者は学校に責任をなすりつけ、学校はヤミクモにバイクを取り上げ、生徒は訳も解らず途方にくれる。この構図は教育のあるべき姿では無いと思います。

もし、本当に16、7歳の少年が自動二輪を運転するのにふさわしくないと社会が判断するのであれば、それは学校ではなく法律に訴えるべき事です。

高校に行ってなければバイクに乗って死んでも構わないってことは無いでしょう。未成年者は平等に保護されるべきではないでしょうか。

全国のPTAがこれほど少年にバイクを運転させるのが危険だと判断しているのに法律が整備されないのはなぜでしょうか?誰かの怠慢としか思えませんね。

僕個人としては、高校生から頭ごなしにバイクを取り上げるのは反対です。当然僕はバイクが好きですし、すばらしい乗り物だと思っています。そこから多くの事を学べるし、バイクが年齢を超えた人付き合いの手助けになる事あります。

我々大人がしっかりしてさえいれば、教育の道具にもなりうるものと思います。
ただし、野放しで乗らせるのには危険な乗り物です。街で見かける十代のライダーは、みんながみんなそうなわけではないけれど、グローブはおろか、半袖シャツの裾をばたばたいわせて、ヘルメットも被ってるんだかなんだか。

バイクに乗るにあたり、ヘルメットもきちんと被らせられない保護者が多いのであれば、学校ではなく、法律で規制するしかないと思います。

個人的には、高校生には125位で規制するのがちょうどじゃないかと思います。今は空白のカテゴリーになっているけど、日本のメーカーがちゃんと作れば十分に楽しめてツーリングにも耐えられるものができるでしょうし、保険も親の車につけられるし、かといって高速は乗れずに、400ほど無茶もできず、なんなら定期的な安全講習の義務付けでもしたらちょうどいいんじゃないかと思います。

そして維持費がかからないため、大型バイクに乗るようになってもセカンドバイクとしても楽しめるし、結婚して子供ができてからも金銭的な理由でバイクから遠のく必要も無く、小柄な女性ライダーにも体格にあったものができるし、本格的125CCが有ればすべては丸くおさまる気がします。
学校、生徒、保護者、そしてメーカーと我々一般のライダーが歩みよれば、3無い運動なんてものは消えて無くなると思います。

ついでに、二輪免許も125以上は上限なしでいいような気がします。それ以上はもう分別のつく大人が乗るものですし、125に二年も乗ったら1000CCがいかにバケモノかぐらい解るでしょうから。

ところで、なんで3無い運動なんてものができてしまったのでしょうか。それはかつて未成年者の事故が多発したり、暴走族などの問題があったからですね。彼らも、今はもう高校生の子供がいるくらいの歳になってますよね。

今の高校生からバイクを取り上げてしまったのは、今大人になっている世代の人たちです。学校でもなければPTAでも無いのです。我々大人は、そろそろ少年にバイクを返してあげる努力をするべきじゃないでしょうか。

そこにバイクがある以上、きちんとした接し方を若者に伝える義務があると思います。それは、我々大人の仕事じゃないかと思います。

ながながと失礼しました。
最後に、未成年者からの投げかけにたいして、ずいぶんと傲慢で頭ごなしに否定するような書き込みがいくつか見受けられます。子供のけんかじゃないんだから理論立ててきちんと説明するべきじゃないでしょうか。不快です。
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