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自動車学校の一職員から見る自動二輪

Kack

この3ない運動について本当によく考えるようになりました。
以前にも書きましたが、私はもともとこの3ない運動には反対でした。

それはバイクに乗り始めて、私がバイクから受け取った素晴らしい体験の数々からの考えでした。
ですから、もっと若いときからこのような素晴らしい体験ができたら、その人の人生観も変わるのではないかと思って、なぜそのような規制があるのか不思議でしかたがありませんでした。
しかし、ここで見る3ない運動に反対している方々の意見を拝見していると、一部の方を除き、バイク、あるいは車に乗るときの責任を棚上げした状態での議論が多く見られ、これでは3ない運動を推進している運営側の方々の思惑もまんざらはずれではないと思うようになってしまいました。

最初にそう思ったのは、禁止されている免許を息子に取ることを許し、それが発見されてしかられた方の投稿を見たときです。
学校で禁止されていることを親が許可して、それが発覚した挙句にしかられたことに憤りを見せるというのはどういうことでしょうか?
本来、規則を守ることを教えるべき立場の親御さんが校則を破ることを許せば、親とて学校側から厳重注意を受けてしかるべきで、学校に文句をいうなどお門違いもいいところですよね。

財布の中身をことごとく見られてプライバシーを侵害されたとも書かれていましたが、落し物を拾得すれば、その持ち主が誰かを特定するためにも中身を見ることは仕方のないこと。そういう時は普通、財布が無事届けられたことに感謝しこそすれ、文句を言うべき立場ではありますまい。

どなたかも書かれていましたが、こういう親御さんは、もし学校が免許を取ることを許可して、結果、ご子息が事故を起こしたら、必ずや「学校が免許を取ることを許したからだ」とおっしゃるでしょう。恐らく「安全講習をしっかり実施していないからだ」という理由でです。
なぜなら、上に書いたようなごく理性的な判断を文面からは読み取れないからです。主張が自己中心的ではありませんか? ご子息が人を殺めてしまったら、当然監督義務のあるあなた方にも責任が及びます。そこまでの備えを果たしてしていらっしゃるかどうか。これも見えません。

まず親として子供に教えるべき義務を放棄しているようにしか思えません。そうではないと主張されるなら、あの投稿をなさった親御さんご自身から、ご自分が子供に対して果たすべき教育がどのようなものであるか、その教育方針をお聞きしたいものです。

そして、当の高校生たちにご意見。
「3ない運動には絶対反対」、「免許を取る権利を無視している」、「学校に免許を禁止する権利などないはず」などなど、自分の権利のみを主張していて、「権利の前に果たすべき義務」について言及している人がほとんど皆無に近いこと。

このような状態でバイクに乗って果たして安全運転が望めるでしょうか? 無茶をしたがる盛りの高校生。高校を卒業して大学生になったり就職したからといって、冷静さがつくかといえばそうではないでしょう。しかし、高校を卒業して規制が一気になくなれば、それは今はやりになっている「自己責任」の世界です。それでも成人するまでは自分ですべての責任を負うことはできません。

どこまでそのことを理解しているのか。また、同じ姿勢で反対されている親御さんもそのことを理解されているのかどうか。
高校が免許を禁止していることを理由に無免許で運転している人たちがいるのなら免許を取らせるべきだというご意見も、ルールを守るべきであるという最も基本的な決まりを無視して飛び越えた、飛躍したご意見としか思えません。

私は法律の専門家ではありませんので、3ない運動の合法性について云々する資格はないかもしれませんが、そんなに大げさなものでしょうか? そこまで目くじらを立てるほどのものではありますまい。

「憲法で保障している権利を侵害する事が出来るのは、公共の福祉に反する場合だけ」というご意見はごもっとも、私にも理解できます。
しかし、実際に3ない運動がメジャーになる以前に高校生による事故が多発したからこそ、このルールが生まれたのではありませんか?
つまり、事故の多さが「公共の福祉に反する」程度に至ったからだと私は思います。そうであれば憲法違反ではないはずです。

本心をいえば、高校生からバイクに乗れればこんなに素晴らしいことはない、と今でも思っています。
しかしながら、もしここで「3ない運動反対」を唱えていらっしゃる方が多数派ならば、私は3ない運動はまだまだ続くだろうと、本当に残念な気持ちで容認せざるを得ません。
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