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自動車学校の一職員から見る自動二輪

Kack

この話題について隅から隅まで読んでみて、ちょっと考え方が変わってきました。
私も高校の3ない運動には反対でした。
しかし、現実の高校生のバイクに対する考え方、3ない運動に反対するときの姿勢などを見ていると、どうしても、というよほどの必要性がないと無理なのかな、と思わざるを得なくなってきました。

第一に無免許で乗っている人たちの言い分・姿勢。
『なぜ無免許で乗るのか』と問えば、『高校が免許を禁止しているから』という答えが返ってきますね。
高校が免許を禁止していることが無免許で乗ることを正当化する理由になると思っているのでしょうか?
無免許でつかまって、『だって、高校が免許を禁止しているんだから免許取れないし、無免許で乗るしかないではないか』で通るはずないのに、どこまで考えてそういう行為に走っているのか。
つまり、禁止されているバイクに乗るためには手段を選ばない姿勢。この無免許運転に加担している親も問題です。
上に書いた人たちがすべてであると思っているわけではありません。しかし、こういう人たちに免許を与えることに、私はちょっと背筋に寒いものを覚えます。
もし彼らが運転するバイクに子供がはねられたら...。もし血気盛んな彼ら(そんな無茶をする人たちはけっこう頭に血が上りますよね)が怖いものなしの運転をして事故ったら...。
こういう人たちに免許をとることを許可し、どなたかが提案されている高校と自動車学校共催の交通安全講習を開催しても、果たして彼らはまじめに参加するでしょうか?

どうでしょう?
免許を取って、あるいは無謀にも無免許ですでに公道を走っていて、『経験をつんでいる』と勘違いしている人たちが、高校が主催する交通安全講習会に大真面目に参加することが期待できるでしょうか?
私の高校時代の経験では、『こんなもん、ばかばかしくってやってられっか』という人が大勢でした。

第二にどこまで責任を持ってバイク・交通社会と相対することができるか。
バイクを維持するにはそれ相応の出費を覚悟せねばなりません。
購入費、税金、保険...。
原付でも一部の車種を除き、10万円前後の出費を要しますし、自賠責保険だけではリスクを担保することはできないので当然任意保険に加入することになります。
これらの出費を高校生がどうやってまかなうのか。
親が出してあげることはいとも簡単ですが、責任をしっかり全うするためには自分の甲斐性ですべてをまかなわねば真の『責任感』は生まれません。
買い与えられたものと、自分で苦労して獲得したものではそれに対する愛着やこだわりに雲泥の差が生まれるからです(中にはそういうことに関係なく責任を持てる人もいるかもしれませんが)。
つまり、原付といえども高校生がバイクにまつわるすべての出費を自分の責任と甲斐性の範囲でまかなうことはできないのではないか。
これが大学に入ってアルバイトをし、その収入の範囲内でバイク生活をスタートしてもいいのではないか、と思うようになった理由のひとつです。

私自身も高校のときからバイクに乗りたかったですが、大学にいってアルバイトを始め、原付免許を初めて取ってやっとの思いで中古のクラッチ付を買いました。中型のバイクにいたっては高嶺の花でした。

ただ『絶対反対!』では物事は進みません。
まして免許が禁止されていることを理由に無免許で乗るなど言語道断。
バイクに乗りたいと思って 3ない運動に反対の人たちのバイクに対する思い、意識ってどれくらいのものなのでしょう?
まず、乗りたいと思っている高校生の皆さんがバイク乗るときのリスク、責任の大きさ(わかりますか?)を本当に理解することが必要です。
『3ない反対』と叫んでいる皆さん。
バイクに乗る(車でもいいです)ことってどういうことかわかりますか?
どいさんがおっしゃっていた『権利についてまわる責任』てどんなことかわかりますか?
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